昭和四十五年二月六日 朝の御理解
X 御理解第六十二節 「昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれというておるが、神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ。神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。にわかに先生にはなれぬぞ。」
「一段一段進んでゆくのじゃ」と、一段一段進んでゆかなければならない。
昨日は、あのように終日、甘木の平田会長に来て頂いての信心の教励、まあ教励というよりも、会長のお話を頂くとゆうような一日で、大変共々におかげを受けました。
今日、この六十二節を頂いて、まさしくこの通りだと、昨日の平田さんの話を頂いて、それを感じます。お話をされる事があまりにも素晴らしくて、しかも図抜けておられるので、空々しく聞こえたり、なんか手の届かないようなところもあります。
けれども、日頃私どもが、ここで信心の稽古をしておる人達ならば、平田さんの言われる事が、いちいちもっともだと、いちいち合点がいかれた事であろうと思います。
いわゆる、お道の信心の超道理的、超道理とでも申しましょうかね。普通の道理を越えたものであり、為には、私どもが非人間化してゆかなければいけない。普通で言う人非人とゆうのは、犬蓄生にも劣るとゆう時に使うのですけれども、私どもの心がね、神に向かって進んでいくとゆうことです。ですから、非人間的にならなければならない。
平田さんのお話を頂いておりますと、そうゆう人情的なものではないし、なる程、神様が求めておいでられる、ある意味での理想的人間像なんですねえ。神様が求め給う氏子とゆうのは、私は、あのような大体姿になるのじゃないかと思いますねえ。
ですから、ある意味に於いての普通でいう人間らしさではないところがですね、非常に烈しく聞こえたり、又は、ちょっと突飛なことに(笑)こえたりするんですね。
けれども、皆さん一人一人の、そうだったでしょう。いちいち、もっともだ、そうだと。いつも、親先生から頂いておる通りだとゆうふうに、言うなら、私の言っておる事を、裏付けて下さったように思うのですね。どうだったでしょうか、皆さん、やっぱ、そうだったでしょうが。私は、そう思って聞かせてもらいました。
例えば、突飛とゆう言葉を使うなら、金光教は宗教ではないといったようなことを言うておられましたね。一般宗教、それとは違うんだと。
私は、最近申しております、「和賀心時代」。それが医学とか科学とか、今日の御理解を<借りて>言うなら栄養学とかという、その根底になる学問、いわゆる和賀心学問です。和賀心を追求すると、そこに人間の幸せとゆうものがあるのだと。その上に立った医学であり、科学であり、又は栄養学なら、栄養学とか【 】。
ですから、地球上に住む人類の全てがです、この和賀心学を究めてゆかなければならないとゆうのですから、もうそこには、確かに宗教を超越したもの、そうゆう時代が必ず来るんだと言っておる。それと私は、合い通じるとゆうふうに感じました。
まあだ、現金光教の信心の段階でですね、金光教が宗教でないとか、和賀心時代が地球上の人類の全てに普及される時代が必ず来るんだと、いったような事は、もう突飛も突飛であろうと、こう思いますね。まあ、本当に私の言う事は、夢の夢のように感じる事だろうと、こう思いますけれどもですね。
けれども、銘銘の頂いておる自分の心の中にはですね、やはり、それを確信するところから、ああゆう臆面もなく、その事が言うて放たれる所似だと、こう思います。
昨夜は壮年部会で、事実皆さんが、ここで御用、合楽に信心教励で、夕方皆さん帰られたのですから、これは少ないだろうと思うとったら、今日は、いつもよりも大変多かったです、壮年部会。
私は風邪の具合が悪いから、夜の御祈念を御無礼して休んでおりました。ところが、もう布団の中で下半身というですか、足がもう寒いんですね。風がすうっと足の指だけが通るようにあって、どうしても眠られませんもん。眠れんままに一日の事ね、いろいろ思わせてもろうたり、御祈念させてもろうたりさせて頂いとりましたら、頂きます事がね、いわゆる午後の座談会の時に、私が、お話を致しました、その和賀心といったような事が、テ-マになっておりましたからね、皆さん、昨日、嘉郎さんが発表しました、いわゆる合楽の和賀心というのを、見事にお話ししとられましたねえ。
私、昨日は、一寸、最近、青年会などに行ってから、非常に嘉郎さんのお話が素晴らしいという事を聞いておったけれども、あんなに素晴らしく、しかも大先輩の前でですね、お話が出来る、しかも余裕しゃくしゃくとして、受けて応えて、又は、自分の言いたい事を言っておられましたが、確かにね信心の稽古もだけれども、修行が出来ておるとじゃなからな、あれだけの事は言えませんですよ。
【 】申しました。「もう、あんた方兄弟でうまい」ち。(笑)「あなたよりも【 】第一発表力というか、お話が上手だ」と、言うて話した事でしたけれどもね。本当に平田さんが、その事を一言下に言われましたように、「そうゆう苦しい時には苦しいんだと、和賀心なんて喜びなんて頂けない。」て、ゆう事を言われましたけれども、本当言うたら、だから、私は、〔これは〕合楽のものだなと、思うたんですよ。合楽の場合は、皆さんが一応は感じられるでしょうが、苦しいけれども有り難い。
これは私自身がです、やはり、そこんところを頂き抜いてきて今日(こんにち)があるからですねえ。やっぱり、そうゆう一つの尊い流儀が皆さんの上にも表れているんだと思いましたねえ。
久保山先生が、「大坪さん、あなたは本当にこうゆう苦境に立っておられる中に、本当に有り難かつですか」と。私が有難い話をすると、そうゆう、やはり疑問を感ずる位に有り難かったですよね、私は、そうゆう中に。
ですから、そうゆう何かしれしれ笑わんなかんごたる時にです、言うのは、和賀心ではないとゆう訳ではないけれども、そうゆう人間の一番苦しい時というか難儀な時に、難儀な事は難儀なけれど、けれどもそこに神愛を思い、このようにして信心を分からせて下さるとゆうふうに頂く時にですね、確かに、暑さも暑さを感じん、寒さも寒さを感じんだけの喜びが湧いて来る、とゆう事は事実なんです。そこを、嘉郎さんが話しておりました。
ところが、「あんた達がごつ若さで、そげな和賀心が生まれるはずはない」と決めつけておられたけれど、そしてですね、いわゆる烈しい迄の、いわゆる和賀心なんですね。そこのところの説明が、いわゆる平田さんの言われる、和賀心の説明が皆さんにも合点の納得のゆかないものであっただろうと、こう思いましたけどね、その事を頂くんですよ。
それがね、和賀心とゆうのはね、平田さん自身も感じておられないかもしれないけれどもね、あの平田さん自身の、あの心が和賀心だと。和の心だと、いわゆる和の心というのは、天地と和した心なんです。私は、それを頂いた時にね、素晴らしいと思うたです。
なる程、平田さんを評してですねえ、非常に反問したり、又は、批判する人が多いです。それは、〔ああゆう〕烈しい表現やらが、そうゆう事になるのですけれども、あれそのものは皆んな、和賀心です。天地にですね、いわば和しておる、調和しておる、とゆう事なんです。その証拠にですね、天地が自由になる程しのおかげを、自身〔が〕頂いておられるでしょうが。
例えば、雨が降りよっても、私が出て行く時には、もう雨傘はいらんごとおかげ頂くといったような意味の事を言われますようにですね、あれはね、天地と調和を保っておられる、いつも。そして、自分で感じておられるんですねえ。
本当に自分は天地の御守護を受けておる。いわゆる、親先生の御守護を受けておる、〔親先生の〕祈りの中にある。もう本当に、このようなおかげを頂いてとゆう喜びが、いつもある訳なんです、平田さんの心の中には。その信心の喜びがですね、そうゆう喜びに触れない人達に分からせよう、頂いてもらおうとゆうのが、あの烈しい語調になって出てくるんですね。
和賀心の、和の心とゆうのはね、天地にね通ったもの、天地との素晴らしい調和を保っておるもの。いうならば、天地が自由になる程しの心なんです。そこからです、生まれてくるところの賀びが賀の心、いわゆる和らぎ賀ぶ心なんです。
まあこれは、現在の合楽の信心で申しますなら、いうならば最高の和賀心でしょうねえ。まあだ、ありましょう。それはね、なる程、和らぎ賀ぶ心とゆうことなのです。
ですから、それが和らいではいなくても、喜ぶ心がなくてもです、和らぎ賀ぶ心になろうと、努めるというか嘘にでも喜ばせて頂けば、おかげが受けられるのが、お道の信心なんです。
だから、そうゆうところからね、和賀心とゆうものを説いていったら、誰にでも分かるのでしょうけれども、自分の最高の和賀心を説かれるから、それが非常に厳しくなってくるのです。あそこが、皆が批判したりするところが、あの辺だなと、その辺のところを味おうてないから、平田さんの言われる事があまり高度だから分からんのです。そして、ひょっとすると平田さん御自信もですね、気付いておらないのかも分からんのですよ。自分の頂いておる、この心こそが和賀心だという事を。
その証拠にはね、いわゆる、「その和とゆうのは、自分の心の中にニコニコ笑っとるとじゃない」と言うておられましたが、平田さんの場合、そうなんですよ、やっぱり。場合によったら烈しくガ-ンとゆうておられる、その時だって和の心なんです。人を助けずにはおかん、おかげ頂いてもらわなきゃやまんとゆう心なんですからねえ。
しかも、その心がね、天地と和しておるち言いうんです。天地との調和、いわゆる天地との調和音なんです、あの烈しい言葉は。
だから、その証拠には、「おかげは和賀心にあり」とゆう、そのおかげが、いつの場合にでも現れておるでしょうが。
昨日、信徒会で、お礼をさして頂とりますから、秋永先生、教会からのお土産と信徒会からのおつつみのお礼を持って行かれた。「もうそげなこと、私は、もうこっちからやろうごと沢山あるとじゃけん、そげなもんはいらん」ち、言われたち。(笑)お金とか、私しゃ、そげなもんはいらんばのと言う訳なんですよ。それで秋永先生が帰りなさって、又、持ってきとんなさるもん。「うん、そりゃ、そうだろうけれどもね、なら、あちらの神様にお礼とゆうことにさして頂いたらどうだろうか」と。そしたらね、「そう言われるなら、これは頂かん訳にはいかんけん、私がことわる訳にいかんけん」ち、言うて持って行って下さったんですけれどもね、とゆう程しに、おかげを受けておられる訳なんです、事実。いろんな意味に於いてですね。
ですから、それが、そんなら、「おかげは和賀心にある」とおっしゃる、それなんです。和賀心だからこそ、あのおかげが伴のうておる訳なんです。
そんなら、ここの場合でも、私の場合、そんなら和らぎ賀ぶ心と言うかですね、又、成り行きを大切にさせて頂くといったような信心がです、私と天地との間に、いつも調和音が出ておるのが、ここのおかげなんです。
そんなら、すんでから、お茶を頂いて、それから三男さんの車で秋永先生が、お送りしてまいりました。行きがけにも、やっぱそうだったが、帰りがけにも、そうだった、と言うて、色々ここのおかげの事実をですね、話させてもろうたら、もうそれこそびっくりされるそうですねえ。そうゆうことじゃったね、そうじゃろのとゆう訳なんです。
例えば、やっぱり豊美が古川家に御縁頂いたことなんか、大変な話題になっておるらしいですねえ。それが、そうゆう神ながらなことから、そうゆうことになったんですかと、古川家には大変縁が深いとですね、昨日、聞きましたら、あの平田さん。それから、竹内教監と、特に、もうそれこそ人には話されない話を昨日なさっておられましたが、こういう関係があるという事を言うて話しておられましたね。
古川家は、金光家の方達の酒盛りの場だと、いったような話もしとられましたですね。金光様方、皆んな古川家でお酒やら召し上がられる時は、召し上がられるんだそうですね。そういう席にも一緒に出させて頂いて、古川家と大変縁が深い、という事から、しかも、それがね、そういうような、例えば、神ながらな事が、合楽と金光家の御縁のつながりであったか、と言うて大変たまがられる程しにですね。
そして、帰りの車の中でですねえ、「私しゃ、秋永さん、たまがった」ち。「合楽の者が、あそこ迄信心を育てておられるとゆうことは知らなかった」ち。皆んなが、座談会に出てですね、言うその内容がです、とてもとても、とにかく現在はです、甘木以上だとゆうことを、自分で言っておられたと。
それは、自分が西八幡ですか、あちらの方へずっと行かれますけども、それは、なる程おかげは受けておるけれど、全然スケ-ルが違うと<言っておられます。>全然違うとゆう事をね、話されとる。
しかもですね、信者の一人一人が、ああゆう、例えば、私の、言うならばですよ、そういう事は<言わっしゃられん>自分の、あれだけ高度なですね、あれだけ深い話をしても、皆んなが、それを分かるちゅう訳です。これにも、驚いておられたです。
同時に発表する事がですね、もう例えば、嘉郎さん当たりの、若さでああいう話をするもんですから、「あんたどんが、そげなこつ分かるはずなか」と、言ったようなものがあったらしいんです。
ところが、よくよく頂いていけば頂いていく程ですね、聞きよけば聞きよる程、それが、そうゆうものを目指して、皆んなが信心の稽古をしておるとゆうことに驚かれたと、こうゆうのです。
そこでですね、私は思うんですよ。「神信心も手習いも同じこと。一段一段進んでゆくのじゃ、にわかに先生にはなれんのだから」、にわかに先生になれんのだから、一段と上がっていきよるのだけれどです、そんなら平田さんが言われることが納得がゆく程しのものをです、合楽の人達は頂いておるとゆうことなんです。
ですからね、それが分かっておるだけでは、なあにもならんでしょうが、皆さん。言うならば、どんなに深い話が、そうだそうだと合点がゆく程しのものをですね、頂いておったって、それは、なあにもならんでしょうが、おかげにつながらなければ。
だから、「我が身におかげを受けて」とこう言う。神信心をしても我が身の上におかげを受けて、後に人を助けてやれとゆうことを、もう見事に平田さんは、自分のものにしきっておられるとゆうことが分かるです。
我が身におかげを受けて、そして後に人を助けることの働きをです、今出来ておられることが分かるでしょうが。
そんなら、合楽の方達の場合なんかは、平田さんの言われること、ひょっとすると、それ以上の深さのものをです、分かっておるのかもしれませんのですよ、実を言うと。
手習いも、そこ迄、一段一段、言わば進んできておるけれどもです、我が身の上におかげを受けてとゆうところがね、打ち出されてこない限り、いわゆる人を助けてやれといったような事にはなってこないとゆうこと。いや、人を助けてやれとゆう時には、自分自身も助かっておるとゆうおかげになってこないとゆうこと。
私は、昨日の平田さんのお話を聞いて、そうゆう意味でですねえ、本当に昨日を境に、寒修行が終わった、その事を境にですねえ、合楽の人達がですね、そうゆうおかげの頂かれる事の為のふんぎりといったようなものを、つけなさらない限り、これは、只、信心が深いとゆうだけで、人を助けるとゆうところ迄、世のお役に立つとゆうところ迄には、なってこないとゆうことなんです。
そこで、平田さんが、もう終始そのことだけを言うておられましたように、皆さんがそこを分かっておるのであるから、分かっておることを行の上に表してゆけとゆうことなんです。
そうでしょうが。そうだ、そうだと言うふうに分かっておられるのですから、平田さんをしてです、本当に、もう驚きであったと、びっくりしたと、ああゆう深いところを、皆んなが発表される。一人一人の発表がですね、実にその深いものであったと。それこそ、驚きであったと。
と言われる程しに分かっておるのですから、その分かっておることがです、行の上にも現されてこそ、おかげにつながるんだとゆうことなんです。そうなりましょうが。
それを、具体的に言うとです、言うなら、一にも神様、二にも神様、三にも神様とゆう生き方でいかなければ、そうゆうおかげになってこないて。
だから、もういよいよお道の信心のですね、いわゆる、まあ、なんと申しましょうかねえ、まあ最高のところ、信心のいわば玄人。例えば、先程申しました、和賀心とゆうことはです、嘘にでも喜ばせて頂こうとゆうことになってくりゃ、もうそれにおかげが伴うように、自分の心が、例えば難儀な中にあっても、難儀な事は難儀。苦しい事は苦しいけれども有り難いとゆう、そうゆう心がです、和賀心だと。
そうゆう心に、いわば伴うもの、そして今日(こんにち)ではです、いわゆる、最高の和賀心とゆうのは、天地に和した心、そこから生まれてくる賀び、それが和賀心。
そこのところを、成り行きを大事にしていくとゆう、いうなら非常に、こうゆるやかなですね、ゆるやかな感じが致します。けれども、それに、自分には厳しくと言ったような言葉を使っておられますが、いわゆる一にも神様、二にも神様、三にも神様と。
それは、場合によっては、人が馬鹿と言うかもしれん。人は、そげん迄ぼうけんでもよかじゃないかと言うかもしれん。けれども、そこを抜けきらなければね、そこの到達点とゆうことには、出てこないとゆうこと。
昨日の午後にも、お話しておられたように、夜須の教会の、ある信者さんが、丁度月次祭、丁度平田さんがおい出て話をされる日に当たってお〔られ〕る日に、姉さんのお葬式とゆうことであった。
だから、どげんでん言い訳は出来る。今日は、兄弟の葬式ですから御無礼しますと、言えれるんだけれどもね、しかし、そげなことで、姉の御霊が助かるとは思われない。信心第一、今日は、平田さんがみえることだからお月次祭を頂き、平田さんの話を頂いて、もう、お葬式は済んどろうけれども、親戚の者は、まあだおるけん、親戚の者に挨拶しよう、それの方が姉の御霊は喜ぶだろう、助かると確信して、その方を取ったと、こう言う。
一にも神様、二にも神様、私はね、行の上に現していくとゆうことは、合楽の方達が欠けておるのは、そこだと思うのですよ、本当は。そこんところをです、いつも、私が過去に於いて行じてきたことをです、思うて頂くと、私の場合なんか、皆んなは、それ出来ておる訳なんですよ。
片一方の人は、自分方の息子の嫁ごんの里の誰さんが死になさったけんで、今日はお月次祭御無礼しますと言うたち。もう天と地程違う、と言うて話されました。
それでもですよ、それでもいけんと言うのじゃない。それでも、言い訳にはなるち。なるけれどもです、我が身におかげを受けてとゆうおかげになってこない、これでは。どんな詳しいことが分かっても、どんなに深い話が理解力を持っておっても。
もう、そこ辺のところのですね、私がいつも、これは、それこそ平田さんでなくても、私が歯痒い思いをすることはです、本当に、そん位のことはポ-ンと跳ねやってくりゃええとこに、と思うことがいつもあるです。
一寸こうやって泣きすがられると、もうすがられる方に迷うてしまう。一寸参らんでよか口実が出来ると、もう、その口実に、はあこんな訳でございますと、いかにも、それが当たり前のような、そうゆう信心が何十年続いておっても、どのような深い話が分かっても、ここんところをスッキリしない限りです、我が身におかげを受けて人に伝えてゆけれるといったようなですね、人を助けていくといったようなことは、絶対出来ませんですよ。
合楽の方達が、平田さんが本当に感心したと、あれ程しに育っておるとゆうことがです、それは、どうゆうことかと言うと、そうゆう深い話が分か〔ら〕れる信者に育っておるとゆうことに感心しておられるのであってね、それが、例えば、おかげを受けんなら、不思議でたまらんちゅうことになる。
そこんところを、〔そ〕んなら、一にも神様、二にも神様ち言いよるばってん、三には私という位のことじゃ駄目だということ。一にも押し、二にも押し、三にも押しと、さあ、そこんところがね、一遍だん、ぼうけてみらんかということになってくる。
もう、その辺のところをですねえ、私はスッキリしたおかげにですね、してゆくところに、これからの合楽の信心はかけられると思いますね。
そして、この六十二節を頂いてみてです、昨日平田さんと共に、私どもが、信心の共励をさせて頂いた一日、頂いたお話、そして今朝の御理解頂いてです、六十二節がようく分かる気が致しますねえ。
「昔から、人もよけれ我もよけれ、人より我がなおよけれと言うておるが、神信心をしても、我が身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ。神信心も手習いも同じこと。一段一段進んでゆくのじゃ、にわかに先生にはなれぬぞ」とゆうことになるのですね。私どん、〔金光様の〕先生になろうてんなんてん思わんけん、といったようなものではなくて、いわゆる先生以上の先生なんです。
昨日も言っておられたでしょうが、私のことを、随分、非難のあった時代があったと。けれども、こちらの先生のつが本当なことだけれども、その本当なものが、まれにしかおらんけん、ほんなこつ、しよるとば、すらごつのごと言うのじゃから、と言うというふうにと言うておられましたようにですね。
だからね、私は、今日皆さんに、本当に先生にならんけんなんてんと言う事じゃなくて、いわゆる先生以上の先生、現代のですよ。現代のお道の教師以上の教師にならなければ、平田さんのようなおかげは受けられんです。
それこそ、天地から流れて来るもの。天地との調和音とでも申しますか、そうゆう和賀心にですねえ、限りないおかげが流れて来るという、その内容には、一にも押し、二にも押し、三にも神様というですね、信心がね、内容としてなからなければ、それは、只、それこそイデオロギ-じゃないけれども、空論に終わってしまうのですよ。
空論的なことがです、合楽で、どのように分かっても、それだけでは、まず我が身におかげを受けてということには、程遠い事なのですから、まず我が身におかげを頂く為にも、そこんところをひとつやってのけれる信心を、どうでも頂きたいと思いますね。
どうぞ。